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   自宅の小さな庭での、植物や小動物、虫たちの営みや、日々の生活のあれこれを、徒然に書いてみたいと思います。

震災について③
 今日で、震災から丸一年が経ちます。


あの震災で犠牲になった、たくさんの方たちのご冥福を、
まず祈りたいと思います。


そして、被害にあわれたたくさんの方たち・・・。
まだまだ復興の兆しも全く見えなくて、
不安な日々が続いていると思います。

これから先の未来に、光があることを信じて、
今は、希望を持ち続けてゆっくり歩いて行きましょう。





私にとって、この一年は、長くて、あっという間で、何とも言えない、
前を向いて生きることに必死だった一年でした・・・。


今、私がここにいる、生かされていることに、
助けてくれて、エールを送ってくれた全ての人に、
そして、全てのこと、すべての存在に感謝したいと思います。




しばらく、いろいろなことがあって、なかなか立ち直れずにいて、
ただ、毎日が流れて行きました。

私たちよりつらい思いをしている人たちが、たくさんいる。
分かっていても、現地に足を運ぶたび、写真や映像を見るにつけ、
思い出しては涙がこぼれました。

でも、最近、生き残った私たちは、その体験したことについて、
たくさんの人たちに伝えていく使命
があるのではないかと、
ふと思い至りました。

それで、この先、同じように悲しむ人をこれ以上作らないために、
願いを込めて伝えよう、と思っています。

本当は悲しいことは何ひとつ起きてほしくないけれど、
この地震大国の日本では、いつどこで、またこのような災害が
起きないとも限りません。




3月11日、私は、ちょうど実家のある石巻に、行っていました。
用事を済ませ、自宅に帰ろうとした矢先に、地震が来ました。
地球が壊れるかと思うほどにすごい揺れでした。

実家は海から2キロ離れたところにあり、
津波が来るとは全く思っていなかったのですが、
津波警報が出たと聞いたので、一応、コートとカバンだけをもって、
親と一緒に避難所に行きました。

2階建ての避難所の2階部分で、近所の人と、「地震恐かったね~。」
と話をしていたら、急に窓の方でみんながざわざわし出して、見に行ったら、
2階の窓の下1メートル付近まで津波が来ていました。



外の景色は、まるでテレビで見たインドネシアの津波と同じでした。



私は津波が来るときには、津波が来るという放送が聞こえたり、
ゴーッという音がするものだと思っていました。
しかし、津波は静かに突然、やって来ました。

外で聞こえていたのは消防車のサイレンばかりで、
津波の放送の音も聞こえませんでした。
地震のあと、すぐに停電したので、テレビも見ることが出来ませんでした。

避難所にはいきましたが、津波が来るはずないと思っていたので、
すぐに帰るつもりで玄関に用意していた「非常持ち出し袋」も
持って来てはいませんでした。




窓の外の津波を見たとき、家に帰ることが出来なくなってしまったことに、
まず愕然としました。そして、心の中で、腹をくくりました。
明るく考えて最善を尽くし、あとは天にまかせて、もしものことも覚悟しようと。



避難所には食料も飲み物もほとんどなく、そこでもらった、
あめ玉1個とコップ半分の水で、なんとかしのぎました。

そこにいた200人ほどの避難者は、毛布もない中、カーテンを外して
それに包まって、氷点下の中、震えながら夜を明かしました。

避難所の第一日目の夜、誰かが持ってきたラジオでは、仙台の荒浜地区で
200人の遺体が上がったと報じていました。

その他にも、たくさんの避難者が助けを待っているという内容で、
これは、自分たちのところに助けは来ないかもしれないと思いました。

ヘリコプターの音が聞こえて来るたびに、助けが来たかも知れないと
希望を持ち、音が遠ざかるのを聞いて、何度も絶望しました。

毎晩、夜が明けるまで、寒くて体が痛くて、お腹もすいて、
なかなか眠れず、1時間経つのが、とても長かった~。

3日後に旦那が自力でガレキを乗り越えて迎えに来てくれた時、
思わず、夢かと思って三度見しちゃいました。


今、自分がここにいて、生きているのは本当に奇跡です。
あと少し早く、自宅に帰ろうとして実家を出ていたら、
海沿いを走っていて津波に飲み込まれたでしょう。
もしも避難所の窓の上の高さまで、津波が来ていたら、助からなかったでしょう。

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(これが流された私の車です。これに乗っていたら生きてはいませんでした。)



みなさん、どうか、覚えていてください。


津波は近くに来るまで、音は聞こえないかもしれません。
そして、あっというまの速さで近くに来ます。
逃げろという放送も、聞こえるとは限りません。
電気が停電して、携帯も通じず、情報も何もないかも知れません。
津波は、海から遠くて、今まで来なかったから、
きっと来ないと思っていても、突然、来たりするのです。



だから、今のうちに、もしもの時には、家族とどうやって
連絡を取り合うか、どこで落ち合うか、話し合ってください。


海の近くにいる時に、大きな地震が来たら、近くの、歩いて行ける距離で、
2階以上のできれば鉄筋コンクリートのような丈夫な建物に、
すぐ逃げれるよう準備をして下さい。
車は渋滞します。歩いて高いところに逃げます。

非常持ち出し袋は持って逃げてください。
でも、見つからなければ、逃げるのを優先してください。
あと、薬を飲んでいる人は、薬を忘れずに持って下さい




そして、「津波てんでんこ」です。どこかの地方の言い伝えだそうです。
「津波てんでんこ」とは、「津波が来たらそれぞれに逃げなさい」という意味です。
自分の身は自分で守れ、ということです。

子供を迎えに行こうとした親が亡くなり、子供は学校で避難して無事だったとか、
忘れ物を取りに家に戻ったら津波にのまれたとかが、今回、多かったそうです。

自分の身は自分で守らなければいけません。
とっさの判断が生死を分けます。
それぞれが、それぞれの身を、精一杯、守るのです。


だから、家族で話し合ってください。
今のうちから最善を尽くすのです。



それから、お願いがあります


今回の震災で、被災した土地や人は、今だに傷を負い、生活も立ち直ってはいません。
私は、普通の生活に戻れている方ですが、多くの人が
今だに不自由な生活を強いられています。

被災地はガレキは一見なくなってきたようにみえますが、
ほんの少ししか処分は進んでいないそうです。
私たちの故郷は、壊れた家が取り壊されて、一面焼け野原のようになったままです。

いろいろな方々が、一生懸命努力されていますが、
復興計画もまだまだ進んではいません。


まだ、何も始まっていないのです
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(津波の後の実家の状態です。ガレキで中に入ることも大変でした。)


だから、お願いですから、「忘れないでください」


災害復興のための話し合いは、まだ始まったばかりで、これから何度か話し合って、
それからいろいろなことを決めていくのだそうです。

「復興庁」も出来たようですが、震災から一年近く経ってからです。
そして、まだほとんど動き出してはいません。

動き出すまでに5年くらいかかるのではないかとも言われています。


今でさえこの状態です。
もちろん、みんなのために寝る間もなく働いてくれている人もいます。
それでも、こんな感じなのです。




だから、お願いです。 どうか、忘れないで・・・・


思い出したくないことを思い出してしまった方もいるかもしれません。


ただ、今の自分にできることは、伝えること。
そして、多くの人に、話して伝えて、みんなが出来るだけ身を守れるよう、
そして、出来るだけ笑えるようになるように、願うこと。
それしかできないのが、もどかしくもありますが・・・。

いつか、みんなが笑えるように・・・・




この先、このような悲しいことが二度と起きないことを、本当に、心から祈ります。






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